木漏れ日の中で

~元・不登校先生と子供たちの歩み~

私はこんな「先生」でありたい

April 28, 2025

長らく、ブログが更新できておらず、最後の更新からもうすぐ半年が経ちます(^▽^;)
書きたいことは本当にたくさんあるのですが、全く余裕がなく、追いついていなかったというのが、正直なところです。

久しぶりに更新する気になり、書きたいことは色々ありますが、このページを訪れてくださった方に私の教育観をお伝えできるような内容にしたいと思い机に向かっています。

「私の教育観」というと大げさですが、フリースクールという定義が曖昧な場所の先生がどういう考え方で日々生徒達と過ごしているのか、知ってほしいなと思ってのことでした。

英会話講師時代から合わせると「先生」と呼ばれる職業に就いてからは4年が経ちましたが、常に考えて体現しようと心がけているのは、「子供たちの真正面から向き合う」

これだけだと思います。

私が尊敬している先生は二人います。

一人は、私が小学校4年生だったころ、社会を斜めから見る非常にかわいげがない私に、「ももかさんには、先生のダメなところがお見通しなんだね。先生って、先に生まれたって書くでしょ?実は先生、みんなより先に生まれただけで、偉い訳でもすごい訳でもないの。だから、先生のこと無理にすごいって思わなくていいのよ。」

と言ってくれた先生です。私のかわいげがないところを初めて認めてくれた、と思えた先生でした。この先生のおかげで、小学6年間の中で4年生が一番楽しかったです。

もう一人の先生は、高校時代の別室の先生です。

不登校で、心身ともにボロボロで、退学の可能性もあった私が卒業できたのは、その先生のお陰です。

その先生は、いつもよくわからない哲学の話や、植物の話をしてくれました。

授業の途中で過呼吸になっても、大泣きするだけで何も話さなくても、決して大げさにせず変な話をして笑わせてくれました。

戦場のような教室から逃げてきた半泣きの私に「寝る?」とだけ聞いて、こっそりお菓子をくれました。

お二人に共通することは、表面的な情報や、私の態度で判断せず、お二人の目で私を見て、私に合った対応を判断してくれたことです。

自分がどんな先生になりたいのか、と考えたときに思い浮かんだ先生がこの二人の先生でした。

自分の目で子供を見る、ということは、「プライド」と「先入観」を捨てることから始まります。

「子供に舐められるな」という考えの先生は多いです。先生が上で、生徒が下。

上下関係をしっかり理解させることが、大人数をコントロールする上で大切だ、という考えが日本の教育業界には浸透しています。

ここから脱却するためには、「先生が上」という考えを捨て、恐怖でコントロールしない術を身に着ける必要があります。

また、他の先生からの引継ぎや、保護者の意見、発達障がいの特性や、年齢的な特徴、全て頭に入れても、その子本人と向き合う時だけは、そういった先入観を全て捨てる。ということも大切です。

「プライド」と「先入観」を捨てたら、あとはその子を知り、自分を知ってもらう段階に入ります。それがまた難しいので、偉そうなことは言えませんが…(-_-;)

英会話講師時代、「恐怖でクラスコントロールしない」を掲げた私は他の先生方から、疎まれましたが、営業成績や、継続率、生徒、保護者からの評価でしっかりと業績を残すことができ、「問題児」と言われていた生徒達はみるみる変化していきました。

そういった経験から、私は先生として常に、「子供たちの真正面から向き合う」ということを信念にしています。

(ちなみに、「生徒」のことを「子供たち」と呼ぶのは、いつも迷うのですが、小学生が多いこと、そして、なんだか「生徒」と呼ぶのは自分が上だと誇張しているようで、偉そうに感じるので、愛情を込めて「子供たち」と呼んでいます。決して子供扱いしている訳ではありません。ルールでは「児童生徒」と呼ぶのが正しいそうです(^▽^;)気になる方がいらっしゃったら、申し訳ありません。)

そんな私なので、子供たちにこちょこちょされたり、「おんぶー!」と乗っかられたり、失敗すると、からかわれたりします。でも悩んだ時や、迷った時はいつも一番に相談してくれます。誰にも見せない涙や心の内を話してくれます。

不登校の子供たちと向き合うことは、本当に難しいことです。

常に焦りと不安感に苛まれ、大人への信頼を失っている子もいます。

ふとした言動に傷ついたり、自己肯定感がものすごく低い子達ばかりです。

発達の凸凹や、学校復帰のプレッシャー、この子はこれからどうなるんだろう、という親御さんの不安、私達も時には焦ったり、迷うこともあります。

そんな時はいつも、「今」に目を向け、目の前の子を笑顔にすることだけを考えます。

無責任に聞こえるかもしれませんが、未来のことなんて誰にもわからないものです。

「子供の幸せを先延ばしにするな」養老孟司先生の言葉らしいです。

目的に意識を向けて恐怖で支配したり、エサで釣ることこそ無責任です。

今、この子が幸せなのか、何に困っているのか、何を求めているのか、心配や、焦りを全部取っ払って、真正面から見つめると見えてきます。

そんな風に向き合って、気づかされた経験がいくつもあります。

どちらが先生なのかわからなくなるくらい、私は本当に多くのことを子供達に教わっています。

「私の教育観」は、「子供達の真正面から向き合うこと」。

怒らず、比較せず、みんなそれぞれを特別扱いして、傷ついた心を癒していきます。

私がここまで振り切れる一番の理由は、パートナーのせいや先生のお陰です。

せいや先生も絶対に恐怖や、男性特有の圧で支配することはありません。

それでも私より厳しく、別の視点から、目的意識をもって子供達を導いていきます。

頑張りたい子を力強く導き、後押しする先生と、傷ついた心を癒し、守る先生がマイリルにはいます。

これも、子供達が教えてくれたこと、私たちの中に母性と、父性を見出し、必要な時に使いわけているようです。

そんな子供たちの姿を見ると、原因は本当に様々であることがわかります。

色々な家庭があり、多様化している今だからこそ、学校と家庭だけではなく、民間、行政、地域、医療機関と連携して、みんなで、子供達を見守ることが大切なのだと痛感しています。

もし今、お子様のことがわからずに心が折れそうになっていたり、孤独を感じていらっしゃるのであれば、私達でなくても、ぜひ周りの人や、相談機関を頼ってください。

力になりたいと感じている人、子供達のありのままの姿を受け入れてくれる先生方はきっといらっしゃいます。

もちろん私達マイリルアカデミーもその内の機関の一つです。

安心できる場所があるから、子供たちは成長し、外で戦うことができます。

フリースクールという選択肢は決して甘やかしでも、逃げでもありません。

傷ついて弱った子も、自分の心に従いたい子も、コロコロ変わる気分な子も、まるっと受け入れて、学齢で求められる基準や、比較ではなく、その子のペースで成長を促していく、マイリルアカデミーはこれまでも、これからも、そういう機関でありたいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました✿